店主、苦悩と創作の日々の記録。

文房具ひとつで、暮らしの速度をゆるめるということ


朝、まだ寝起きでぼーっうとしている状態で、机の上にあるノートを開く。
ページはただ真っ白で、何を書くかも決めていない。
むしろ決めない。
思いついた事をなんとなく書き留めるだけ。
けれど、ペン先を紙に置いたその瞬間、心の中の“速度”がひとつ下がる。

紙に書くという行為は、ただの記録でも、タスク整理でもない。
自分の内側にある言葉が、ちゃんと“自分に追いつく”ための時間だと思う。

AIは速すぎる。
質問した瞬間に答えが返ってきて、こちらの思考が追いつかないことがある。
情報の消化が終わる前に次の刺激が入ってくるから、
まるで“言葉の重み”が手のひらからこぼれ落ちていくような感覚になる。

それに比べて手書きは、圧倒的に遅い。
声に出すよりも遅く、AIに打ち込むよりもずっと遅い。
だからこそ、その遅さがいい。
書こうとした瞬間に、自分の考えが「本当にそうか?」と問い返してくる。
ひと息つける。その一呼吸が、暮らしの速度を整えてくれる。

■ 子どもの頃の4Bの鉛筆が、今になって恋しくなる理由


子どもの頃、図工の時間や習字の下書きで使っていた4Bの鉛筆。
すぐ短くなるほど柔らかく、紙に当たるとザラザラっとした摩擦が手に伝わった。
あの“引っかかり”の感触を、大人になった今も覚えている。

便利なペンはすり減らない。
デジタルペンはもっとすり減らない。
どれだけ正確でスマートでも、不思議と心は動かない。

なぜか子どもの頃のあの“摩擦”は忘れられない。
紙の上で芯が少し沈み込むような、あの独特の感触。
たぶん、あの「少し時間がかかる感じ」が、
考えることと手を動かすことを、ちょうどいい速度でつないでくれたのだと思う。

■ 紙には“種類”があって、心にも“種類”がある


大人になると書く時といえば、紙はほとんどコピー用紙や付箋、もしくは裏紙になった。
どれもツルツルしていて、どれも同じような手触り。
そこには「自分に戻る時間」は生まれにくい。

あえてノートを選ぶという行為には、
小さくて個人的な儀式性がある。

上質紙に万年筆を置くときの、あの静かな緊張感。
便箋に手紙を書くときだけ感じる、背筋の伸びる感じ。

紙を選ぶ行為は、
「今から自分と向き合います」というスイッチみたいなものだ。

店主の偏愛は、ちょっと意外なところにある。
画用紙に万年筆で書くという変わったスタイルだ。
画用紙はザラザラしていて、万年筆のインクはその凹凸に引っかかる。
滑らかさとは真逆なのに、なぜかそれが“自分の字”になる。
ツルツルの紙は、ペン先が勝手に走ってしまって、
どこか“自分の温度”が乗らない気がする。

摩擦が、ひとつのペースを生んでくれ、自分の字を再確認できる。

■ ただ書くだけの時間が、生活を整える


何かを書くと言っても、大層な内容じゃなくていい。

  • 好きな漢字をただ並べる
  • 漢字ドリルのように書き連ねる
  • 意味もわからないままお経を書いてみる
  • 今日浮かんだ言葉だけメモがわりに

こんなことでも、
書くという行為そのものが“無音の休息”になる。

頭の中のごちゃごちゃが、紙の上に落ちていく。
心が透明になっていく。
そんな静かな時間が、暮らしをゆるめてくれる。

「ストレスは水で洗い流せる」とよく聞く。
だからお風呂は湯船に浸かるべきだし、たまにはプールでがむしゃらに泳ぐと良い、と。
同じように、リラックスした自分は液晶の中にはいない。
紙の上でのみ、本当の自分に会えると、そう思っている。

■ AIの時代だからこそ、遅いものが必要になる


もちろん、AIは便利だ。
この文章もAIの手助けを借りて作っている。
でも、AIが速くなればなるほど、
人間が“自分のペース”を取り戻す場所が必要になる。

手書きは決して非効率じゃない。
むしろ、手書きの遅さの中にこそ、
いまの大人に必要な「生活の余白」が宿っている。

金柑が料理で大事にしているのも、実は同じことだ。

  • 化学調味料に頼らない
  • 余白のある、懐かしいような味わい
  • 湯気に「今」という瞬間を感じる
  • 香りをも味わう
  • ゆったり流れる時間

これは全て“生活の速度の再提案”だ。

手書きの時間は、その食と同意義であり、考え方・捉え方だ。
丁寧に戻る、原点に戻る、素に戻る。
それが KINKANの価値観そのものでもある。

■ 上質なふつうを、まじめにていねいに


「便利さ」では整わない心がある。

「遅さ」によって戻れる場所がある。

文房具ひとつで、暮らしの中に流れる時間の流れをゆっくりに変えることができる。
速めることばかりに囚われて、文明の進化・開発がなされてきた現代で、
遅めることができるのは、自分自身でしかできない。
私たちがしばらく触れてこなかった“豊かさ”が潜んでいる。
きっとその再会に、誰しもが喜べる。

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